「クラシック名曲サウンドライブラリー」提供のクラシックの楽曲をお届けします。
クラシックで癒されながらパソコンでお楽しみください。
1749年4月27日、ロンドン中心部の王宮に隣接するグリーンパークは、
この日の催し物を見ようと詰めかけた、多くの群集で埋め尽くされていました。
イギリスが参戦し1740年に始まった、
オーストリア継承戦争の終結に際して開かれた、
アーヘンの和約(1748年10月)を祝して企画された大規模な花火大会です。
時の国王ジョージ2世は、この祝典を盛り上げるための音楽の作曲を、
国王と同世代で旧知の仲だったヘンデルに依頼しました。
1710年からヘンデルは活動の拠点をロンドンに移していました。
そして、50以上のオペラやオラトリオにより、
その地位を不動のものにしていたのです。
当初ヘンデルは弦楽を伴う管弦楽曲として作曲する予定でしたが、
勇壮さを求めた国王の要望に応え、大編成の管楽器と打楽器用に仕上げました。
それはトランペット9、ホルン9、オーボエ24、ファゴット12、
コントラファゴット1、ティンパニー3、小太鼓2、
更にセルバンを加えた、総勢57人による大合奏でした。
初演ではこれに管楽器を追加して、結局数は100本以上になったといいます。
花火大会の1週間前の公開練習には、1万2千人が集まり評判を呼びました。
こうして開かれたグリーンパークの花火大会でしたが、
序曲が演奏されて101発のカノン砲が撃たれたあと、思わぬ悲劇が起こります。
花火の打ち上げ開始から、ほどなくして雨が降り出し、
花火の着火もままならず、
なんとか着火できても発射台が転倒して花火が木造建築に引火し、
ついにはジョージ2世の像までが焼け落ちてしまったのです。
悲鳴をあげて逃げ惑う群衆…大会は大失敗です。
責任者セルヴァンドーニは半狂乱になり、
役員に切りつける騒ぎにまでなりました。
ところがこのことで、人々の関心はヘンデルが作曲した音楽に集まり、
結果として「王宮の花火の音楽」は、期待通りの大成功を収めたのでした。
祝賀会のあと、ヘンデルはこれに弦楽器を加え、管楽器の編成を調整し、
演奏会用の管弦楽曲として、5月にロンドンの慈善音楽会で演奏しました。
序曲と花火の合間に演奏する舞曲風の小曲からなる「王宮の花火の音楽」は、
その後、ハーティやストコフスキーなど様々な指揮者が編曲し、組曲としています。
「2012年04月16日クラシック名曲サウンドライブラリーより」