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遠くに空木(うつぎ)岳、越百(こすも)岳といった中央アルプスの山々が見える。
草原と畑に囲まれた一軒家から「じ〜ん…い…ありゃ、…もあるさ〜」歌が聞こえてくる。どうやら水戸黄門の歌らしい。
家の中ではお年寄りたちが、歌にあわせて体を動かしている。
ここは民家を改造し家庭的な雰囲気のなかでお年寄りを預かる施設『野の花宅老所』である。知り合いの家へ来る雰囲気で気軽に生活することができるのが特徴だ。
田舎暮らしを始めて10年目。地域に根付いた新しい活動が軌道に乗り始めた。
- 歳をとったら田舎で暮らしたい
ご主人の尾上雅章さんは都市設計の仕事、奥さんの利香さんは建築のパース(完成図)を描く仕事をしていた。お二人とも『住む』こと『暮らしのテクニック』のエキスパートだ。そんな彼らの夢は、老後は豊かな自然の中でのんびりと暮らすことだった。
一人息子の「大学に進学したら自活したい」という申し出を契機に、都会生活に見切りをつけた。
長野県下伊那郡飯島町に家を借り3年後、隣の中川村に家を建てた。7年になる。
長野県上伊那郡中川村。天竜川の両岸、河岸段丘に広がる一帯に村はある。
中央アルプスと南アルプスに挟まれた、花と果実とキノコの産地である。
2000年、近接する伊那市で行うホームヘルパー2級の講習会の知らせを見た。強い動機はなかったが、「持ち前の好奇心」で応募した。
- いつの間にか介護の勉強にのめり込んで
毎週土曜日に受講者同士がクルマに乗り合わせて、車で1時間の講習会場へ出かけた。半年間の講習が終わっても、隣町の診療所を借りて友達同士勉強会を続けた。ときには長野市へ宅老所の見学もした。
「地域の中に寄り合い所が小学校のようにあちこちにある。自宅と変わらない雰囲気で…。面白いじゃん。やってみようか」好奇心に火がついた。
- 無理と言われるとファイトが沸いて
周囲からは「そりゃ無理よ」といわれた。「それならやろう」と心の炎が燃えはじめた。
『長野NPOセンター』へ相談に行った。「お金がそんなに無くても出来ますよ」の一言に心が固まった。条件さえ合えば県や村の補助が受けられるという。
10人の発起人が集まった。「尾上さんは昼間自由がきくから」と事務局になった。パースの仕事に廃業届けを出した。もう後は無い。
しかし多くのハードルが待っていた。敷地が広く、危険な場所の無い家探し。そして、ご近所のご理解もいただかなくてはならない。
静養室、相談室、機能訓練室など部屋の設置や水道工事や耐火性の内装工事もしなくてはならない。そして家の周囲の草刈りや庭の整備、畑の整備も行った。雅章さんや親しい仲間にも手伝ってもらった。
看護師、調理師さんも募集しなくてはならない。子育て中で仕事から離れていた人に親子で出勤をお願いして、協力を仰いだ。
しかし、社会福祉士の資格を持つ生活相談員がいなかった。生活相談員がいなくては宅老所が開けない。そんな時、地元紙『信濃毎日新聞』が“生活相談員力を貸して”の4段抜きの大見出しで窮状を記事にしてくれた。効果てき面。すぐに人が見つかった。
「ここは野の花がきれいなところでな」ご近所の老人の言葉から、名前は『野の花宅老所』と決まった。NPOの門を叩いて1年で開所に漕ぎ着いた。
- 宅老所はどんな一日なのだろうか
朝は血圧,体温を測り,そしてお茶のひと時。
そしてお昼の下ごしらえ。もやしのひげ取りや、人によっては野菜を刻んだり。家では台所に入れてもらえ無いので、「包丁を持てるからうれしい」という人もいるそうだ。
ちぎり絵を楽しんだり、宅老所の庭に作ったゲートボール場でゲートボール。お花見やショッピングセンターにお買い物に度々行く。
水戸黄門体操。昼食後のお昼寝そして目覚めの体操。お茶を飲み、おしゃべり。歌を歌ったり、玄米にぎにぎ体操といろんな体 操を織り込んでいる。
開所してもうすぐ2年。ここを訪れる人も多くなってきた。80歳前後を中心にご婦人が多い。一寸物忘れの激しい人もいる。
「将来は宅老所へ来られない、一人暮らしの方へ、給食の配食が出来るといいですがね」地域に根ざした介護へ夢は止まらない。
(取材・文/阿部 克巳)
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