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日本百名山は作家・深田久弥が登った、数百の山の中から百の名山を選んだものだが、その後、深田クラブにより日本二百名山、日本山岳会により三百名山が選定された。安江さんはそのすべてを踏破するとともに、山梨百名山、信州百名山、関東百名山も踏破した。
- 「雁坂小屋のカレーライスがおいしかったから、山好きになったのでしょうかね」
二十歳の頃、会社でのデスクワークの疲れと運動不足を解消しようと山登りを始めた。
箱根の金時山、雲取山、尾瀬と登ったが体がついていけず辛い思いの方が多かった。それでも山へ登った。半年経った。
雁坂越えのとき山小屋で食べたカレーが美味しくて3杯もお代わりをした。こんなことは初めてだった。胃弱だった体が健康になった。筋肉も強くなってきたようだ。山が楽しくなってきた。山登りのために特にトレーニングはしない。月に最低二回の山行、これがトレーニングである。この効果が出たのだ。
「山登りは自分の中の闘い。登頂して無事に下山できれば勝ちのスポーツですよね。よく登ったなって自分をほめるから、元気になる。自己満足のスポーツですかね」それに「山は景色や花に変化があるからいいんです。雨が降ってもそれはそれで楽しいものです。」
- 百名山の九十座は母と一緒に登りました
山を始めて7~8年目がたった。鳥海山を登ったときに「日本百名山をいくつ登ったの」という話が耳に入ってきた。
帰宅してから早速、深田さんの本を読んでみると四十座ほどすでに登っていた。それだったらと母充代さんを誘った。まだ五十代だった母はハイキング好きでよく同行してくれた。
百名山をチャレンジする傍ら、丹沢の登山訓練学校で、沢登りのトレーニングを始めた。「水泳をやっていましたから、水が怖くないのです。はまりましてね」キュウハ沢、勘七沢、小常木谷、東沢と遡行していった。一人で大除沢をつめて和名倉山(別名を白石山)を登った。普通のコースでも楽ではない山だが、「沢を一人で!」と感心された。
休暇の取り易い仕事に代わったり、1年間八ヶ岳の山小屋で働いたり。山づけの毎日だった。1994年浅間山登山で百名山を登り終えた。22年かかった。
- 名前のせいでしょうかね、どうしても百にこだわってしまいます
百名山を登り終えて、ほっとしているところに、尾瀬の景鶴山ツアーの広告が目に止まった。この山は4月後半から5月の残雪期にしか登ることができない。夏や秋は登山禁止の山である。いいタイミングでツアーがあった。「参加してみると『三百名山』登山の話題で持ちきりなのです。私、名が百代だからというわけではありませんが、百と聞くと気になって仕方がないのです。」
これが三百名山登山のスタートだが、ちょっとした武勇伝もある。ニセイカウシュッペ山を一人で登った。途中誰にも会わなかった。景色も花もきれいだったが、途中で羆に会わないようにホイッスルを吹きっぱなし。最後は喉が渇ききって、もう吹けない。沢筋の羆の出そうなところは走って帰ってきた。
- 三百名山を登るコツ。
沢登り、地図読み、アイゼン、ピッケルワークといった基本的な登山技術のほかに安江さんにはちょっとしたコツがある。
その1.山で出会った人やツアー参加者で、次に行きたい山の同行者としていい人がいたら連絡を取る。
その2.山開きや山の記念日を狙う。登山口までの臨時バスなどが確保されることがある。
その3.インターネットで山行記録や山小屋情報を確認する。ガイドブックと違って行きたい季節情報や林道や登山道の最新情報を得ることができる。
99年三百名山、2002年に山梨百名山、2003年信州百名山、関東百名山を登り終えた。今、全国45キロごとに設置されている一等三角点を高い順に百番目までを登ることを目ざしている。
あくまで百にこだわる人である。
(取材・文/阿部 克巳)
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