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溌剌!百人百様 さまざまな世代の元気印な人たちをレポート 第7回「東京下町、谷中の家族旅館が、異文化交流のオアシスに」澤の屋旅館 澤 功 溌剌!百人百様 さまざまな世代の元気印な人たちをレポート 第7回「東京下町、谷中の家族旅館が、異文化交流のオアシスに」澤の屋旅館 澤 功 溌剌!百人百様 さまざまな世代の元気印な人たちをレポート 第7回「東京下町、谷中の家族旅館が、異文化交流のオアシスに」澤の屋旅館 澤 功
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澤の屋旅館 澤 功

澤の屋旅館 澤 功
「Do you remember me?」大きなザックを背負った若い外国人が、フロントでご主人の澤 功さんに挨拶を交わしている。聞けば3年前にもやって来た。2度目のお客さんである。「息子も、孫も、インコも元気です」澤さんは笑顔で答える。
澤の屋のホームページには、[Welcome to YANAKA . Shitamachi in TOKYO 」 の文字とともに澤さんご夫婦、息子さんご夫婦、二人のお孫さん、そしてオカメインコの写真が迎えてくれる。Welcome to SAWANOYA RYOKAN, We are Sawa’s family ご家族皆で旅の人をもてなす家族旅館の紹介が続く。
一昔前なら日本中どこにでもあった旅館の姿だが、今、めっきり数が少ない。そんな中で「澤の屋のアットホームな雰囲気がステキ」と、外国人旅行者の間で評判を呼んでいる。

- かつては修学旅行生で連日大賑わいであったが…
東京・谷中。澤の屋のある街は、染物屋、餡みつ屋、お豆腐屋、小さな商店が健在の町である。
ちょっと足を伸ばせば、夏目漱石、森鴎外、高村光太郎の旧居跡。上野の博物館や美術館そして音楽ホールも近い。
昭和30年代、澤の屋は修学旅行の生徒さんたちで賑わった。
銀行員であった澤さんは澤の屋さんの改築を行った大工さんの紹介で、一人娘であった奥さんとのお付き合いが始まった。昭和39年東京オリンピックの年に結婚した。
当時は団塊の世代の高校卒業と重なって、修学旅行がピークを迎えた。朝早くから夜遅くまで休む間もない忙しさであった。
「家中が大騒ぎしているときに、このまま銀行に勤めているわけにも行かない」と翌年退職した。義母のヨシさんと養子縁組を行い、旅館経営を引き継ぐことにした。
しかし、昭和45年、大阪万博を境に潮を引くように客足が遠のいた。生徒数の減少もあった。趣向の多様化で、修学旅行イコール東京というパターンが倦厭(けんえん)されるようになった。
商用旅館へと変えては見ても、かつては『家族的な雰囲気がいい』といっていたお客さんも、そのころ新しく台頭したビジネスホテルへと移っていった。ついに赤字経営に陥った。

- 存亡の危機を迎えて
昭和57年7月。例年なら、夏休みの前、人の動きも活発化しようというときに、『泊り客ゼロ』の日が3日も続いた。
そのころ、外国人客を積極的に受け入れていた、ジャパニーズ・イン・グループ(外国人を積極的に受け入れている旅館グループ)の初代会長で、新宿の『矢島旅館』(現在廃業)のご主人が「日本の人が来てくれないのなら、外国のお客様を受け入れなさいよ」と、勧めてくださった。
『矢島旅館』を訪ねてみると、同じ和式旅館なのに外国のお客さんたちで賑わっている。語学のことが気になったが、背に腹は変えられない。意を決してグループに登録した。

- 最も心配だったのが言葉。障害にならなかったのが言葉
英語を何とか習得しなくてはいけない。中学の英語の教科書で勉強をした。[Would you like breakfast?]と聞いてみた。通じない。[Breakfast?]と大きな声でいうと、通じた。的確な単語をはっきり言えば結構通じる。目を見て単語をはっきり言う。ボディランゲージも意思疎通は結構出来る。
予約の電話を受けるときにはひと工夫を要した。いろいろな国の人がいる。相手の会話を聞いていると、相手の発音の癖を理解しなくてはならない。受付は日にちや人数など決して間違えてはいけない事柄がある。電話の脇に質問表を置き、必要な事柄はこちらから聞くようにしている。このほうが間違いがない。
「あとがありませんでしたから、必死にやりました。もっとも、語学を完璧にマスターしてから外国人を受け入れようとしたら、約80カ国の言葉をマスターしなくてはならないのです。100年たっても、この仕事は始まりませんね」

- 異文化の受け入れに戸惑い、自らの海外旅行で違いに納得
共同風呂の浴槽の栓を抜く人。トイレが終わると必ずドアを少し開けていく人。和式トイレの金隠しの上で用を足す人…
「もう辞めてしまおうか」外国人を受け入れて3年ほどの間には、何度か考えたこともあった。
しかし、それが次に入る人のために浴槽の湯を抜いておこうということであったり、トイレが開いていますよという合図であったり、トイレのドアに背を向けて入れないというその国の安全の問題だということが分かった。
日本と違うから良いとか悪いとか、文化度の上下ではなく、その国特有の習慣や社会事情が、そのような行動を取らせているのだという。このことが分かったとき、辞めようかの気持ちはなくなった。今はイラスト入りの注意書きを貼ったり、洋式便器の設置などでトラブルの解消に努めている。
ところで、澤さんご夫婦は1年1回1週間の海外旅行をする。今までに17カ国を回った。お得意さんの家に泊めてもらうこともしばしばある。
「お得意さんのところへ泊めてもらうと、その国の生活や文化がよく分かります。トラブルがなぜ起きたのか。自分のうちでやっていることを、日本に来てやっただけのことなのです」
「よくタイのお米は不味いと日本の人は言いますが、タイのお米は日本のお米と違うと思えばいいのです」違うと分かったら次の手段を考えればいい、拒否してしまってはいけないのです。海外を旅行して、文化の違いが見えるようになったという。

- 街ぐるみの外国人受け入れ
澤の屋は畳の部屋ではあるが、B&B(ベットと朝食)と呼ばれるスタイルをとっている。つまり、夕食は提供していない。エリアマップを作成し、周辺の商店、食堂をお客さんに紹介している。最初は戸惑っていたお店や食堂も英語表記のメニューを用意して受け入れてくれるようになった。
「旅の目的によって、泊る所を選んでもらえばいいのです」美味しいものを食べるのが目的の人は割烹旅館、ビジネスが目的の人はビジネスホテル、ベット&ステーキの人はシティホテル。
日本の街や普通の生活を見に来る人には家族旅館が良いようだ。

- 観光カリスマとして
澤の屋旅館は年間客室稼働率は90%以上、そのうち80%以上が外国人である。泊った外国人は80カ国。延べ11万人になる。
宿泊の申し込みは、電話50%、eメール40%、帰るときに次の予約をする人が10%。その中でリピーターが30%も占めている。外国で澤の屋の評判を聞いた日本人が泊りに来るというケースも増えているという。
澤さんは『下町の外国人もてなしカリスマ』として、今各地から講演依頼がある。外国人を受け入れる宿泊施設が1件でも増えることを呼びかけている。

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澤の屋旅館
http://www.sawanoya.com
(取材・文/阿部 克巳)
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