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茶人の世界では「一楽、二萩、三唐津」唐津焼の素朴な柄、簡素な絵、渋い色調が好まれてきた。坂本さんは陶芸の街、長崎県唐津の生まれ。陶器店や窯元に囲まれた世界で育った。母親も茶道と華道の先生。幼い頃より器は見ていた。 同級生に隆太窯の中里隆、鴻ノ巣殿山窯の矢野智といった世界的な陶芸家がいる。それだけに陶芸の世界は近かった。 - 旅で得たヒントを陶に生かして 「これはグアテマラのランプをヒントにした釣り香炉です」 「ギリシャの考古学博物館のオリ−ブ柄をヒントにしたものです」「インドのペーズリー柄を型押ししました」 先ごろ調布市民文化会館たづくりで開かれた『香ではこぶ豊かな香り』香炉を中心にした個展は、エスニックの香りに包まれている。旅先で得たデザインや柄など焼物のヒントが、作品に生かされ、独特の世界を形作っている。旅と陶芸の日々こそ、坂本さんのシニアライフである。 - シルクロードへ、世界の遺跡へ サラリーマン時代は、半導体の製造機器や計測機器のメーカーに勤めていた。 西日本の営業の責任者として、国内はもとより中国ビジネスも担当した。故周恩来首相と握手をした。その温もりは今も手に残っているとか。 そんな1980年代のことである。NHKで『シルクロード』を放映していた。 「退職したら西安からローマまでシルクロードを歩いてみたい」の気持ちが募っていった。 「シルクロードとは言っても、西洋からはシルク、東洋からは陶器が西洋にもたらされた道です」 トルコ・レトプカプ宮殿にはすばらしい有田焼がある。いっそう夢の高まりを覚えた。 47歳のとき、焼き物をやろうと、自宅の近くにある咲陶深大寺陶芸教室(馬場咲夫代表)に通い始めた。最初に作ったのは茶碗。以来26年陶芸を楽しむ。 1991年に『巨大遺跡を行く』人類の英知と力の遺産(読売新聞社刊)が発行された。そこには、シルクロードをはじめ世界60カ所の巨大遺跡が紹介されていた。 ますます旅への思いがつのった。 「儲けようというより、自分のやりたいことを追求していくことが面白くなってきたのですね」 - 早期退職は男の美学? 定年1年前59歳で会社を辞めた。 『もう辞めてください』といわれる前に「自分から辞める」といってみたかった。退職金は少なくなるかもしれないが、そこに男の美学を感じたのかもしれない。 「いや、少しでも若い方がいい。遊んでみたいが強かったのかもしれないですね」 そして巨大遺跡の旅が始まった。1回約2週間。年4回のペースで巨大遺跡を巡る旅が始まった。 北京、ウズベキスタン、イラン、トルコ、ギリシャ……あるときはマルコポーロに、あるときは三蔵法師に思いを馳せオールドシルクロードや、世界の遺跡を巡り歩いている。 旅の途中で窯を見た。中国景徳鎮、チュニジア、イラン…ブラジルではユウカリを、モロッコやシリアではオリーブの滓を窯の燃料に使うことも分かった。 気がつけば、本で紹介された遺跡60ヵ所のうち47を歩いたことになる。 - ああしたい、こうしたい。 陶芸の工程を説明してみよう。 (1) 粘土と水をこねる。粘土と水を混ぜ合わせながら、粘土から空気を抜いていく。 (2) 粘土で形をつくる。 (3) 半渇きの段階で、かんなや彫刻刀で形を整える。 (4) 2週間以上乾燥させる。 (5) 約700度で素焼きにする。 (6) 上薬を施し絵付けをする。 (7) 約1250度で本焼きを行う 電気では15時間。薪窯は三日間、炎の調整をしながら焼きあげる。 「まず、思い通りのものができませんね。間違っていいものが出来ることもあるのですが」再び作ってといわれても、もうできない。 「加減の世界」が難しさであり、面白さだ。 修正、研究、研究「それが面白くて楽しいのです」夜起きて、「あれはこうかな」と考えたりする。「もうぼけてはいられません」 - 陶芸を始めてみませんか 趣味はいろいろありますが、何か残るもの、世界にひとつしかないものを作る。どんなに出来が悪くても可愛いものです。 自分で作ったお皿に、手料理を盛り付ける。どんな料理でも旨くなりますよ。 最近陶芸を始めるシニアの方が増えているという。 :*:*:*:*:*
咲陶深大寺陶芸教室http://www.d7.dion.ne.jp/~sakitou/ (取材・文/阿部 克巳)
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