121ware 閉じる

溌剌!百人百様 さまざまな世代の元気印な人たちをレポート 第11回「今に見ておれ」寄席の呼び込み、木戸番人生。志村 葵
過去の記事を見る
志村 葵

志村 葵
「ボウフラや蚊になるまでの浮き沈み」なんてーことを申しますが、浮き沈みを乗り越えて一人前になるまでの辛抱が大変なようでございますな……。
高座では紫色の座布団の上でもう噺(はなし)が始まっている。
「ラッシャイセー、ラッシャイセー、ラッシャイセー」口元が立川談志に似ている呼び込みが、通行人に元気よく掛け声をかけている。
なんとか一束(百人)は入れたいと、半被がなびく

大手印刷インクメーカーを一昨年定年退職した。背広を半被に着替えて、寄席の木戸番の世界に飛び込んだ。
楽屋掃除、高座の設え(しつらえ)、客席作りを行っていく。
演芸場で行なわれるのは、落語ばかりではない。講談、新内、義太夫、小唄、長唄なども行われている。その日の演目によって、客席を椅子席と座布団席の数を按配していく。
定席(じょうせき)の日は、一人でも多くのお客さんをと呼び込みに熱が入る。

- 大切な楽屋とのコミュニケーション、お客様への気遣い
お客さんが開場前に多くお待ちになっているときは、前座さんと話し合って早く入場してもらう。「助かります、早く入れて」のお客さんの言葉に、「お客さんあっての寄席ですから」と返す。
体の不自由な人が入ったときは「おみ足の悪い人が入りました」「お目の悪い人が来ました」と楽屋に連絡をする。その方たちが悪い気持ちになるような話しをしないよう、特に気を遣ってもらう。もっとも「お顔がご不自由な人が入りました、とはいいませんけれどね」
しかし、芸人さんはさすがに一枚上手。踊りや小唄の発表会など、舞台と客席のセットをしていると、お心付けを持ってくる人がいる。
「それをいただいたらクビになります」というと
「いいじゃないの、私が養ってあげるから」と粋にかわされた。でも規則は規則ですからと丁寧におことわりする。

- きっかけは新聞の投稿欄「千葉笑い」
朝日新聞の千葉版に、コント、狂歌、都々逸、川柳、回文等の投稿コーナー「千葉笑い」がある。現在は神津友好さん、遠藤佳三さんが選者だが、平成元年の頃は故 小島貞二さんだった。
小島さんは、漫画家、力士、新聞・雑誌記者を経て演芸評論、放送作家として活躍。古今亭志ん生の生涯を描いた「びんぼう自慢」(立風書房刊)、「漫才世相史」(毎日新聞社刊)などを著す。平成15年他界。

「更衣は校医の好意の行為」・・同音異義(初掲載)
「水不足の折、多少の水増し請求は認めます----水道局」・・コント
「シンカンセンゼンセンカンシ(新幹線全線監視)」・・回文

平成元年から志村さんは投稿を始めた。原稿に詰まると日ごろ書きとめたメモ帳からフレーズを取り出し、創作に頭をひねる。そして4年。
「ノモオオモノ(野茂大物)」の回文で年間賞を獲得した。

- 遊び半分、仕事半分そして大きな収穫も
いつしか千葉笑い投稿の常連になっていた。そんな折、小島さんから『有遊会(ゆうゆうかい)』に参加してみないかと誘われた。
「嬉しかった。俺も少し成長したのかな」とも思った。
『有遊会』はNHKの番組構成作家の親睦団体から生まれた「半分遊び、半分学ぶ』会である。『遊び』は江戸や明治の通人たちが残した様々な『笑文芸』に挑戦し、『学び』はメンバーが得意な分野を皆に講義する。
当時の出席者は平均年齢が62、3歳。パソコンが出来る人なんていない。会社で営業事務をやっている志村さんに、いつしか事務の仕事を任されるようになった。
サラリーマンをやりながら、笑文芸を楽しんだり、小島貞二さんの家へ寄って原稿をみてもらったり、『有遊会』にどっぷり浸るようになって行った。
「折込狂歌(ふ・き・の・と・う)」
 (ふ)吹く風が (き)季節の香り (の)乗せ薫る (と)峠山道 
(う) 梅の一枝

「からす何故啼くの、でコント」
Aカラス「どうして啼いているの?」
Bカラス「目じりの小じわが取れないの」
Aカラス「今どこに住んでいるの?」
Bカラス「雑司が谷の森なの」
Aカラス「そのせいだよ、あそこは豊島(年増)区だもの」


余禄もあった、小島さんのところへ送られる寄席や演芸場の招待券をいただいて、年100話以上、噺を聞いた。
普通のサラリーマンでは出来ない特別な人脈を築くことも出来た
寄席を借りて行われる“『有遊会』スペシャル寄席”の企画構成・進行を任されるようになった。
歌謡漫談の西川のぼるさんの台本も書くようになった。
「小島先生からよく言われました。好きな演者を見つけなさい。
年代の近い人の本を書きなさい。台本を渡せばいいというわけではない。売れるまで面倒を見なさい」
その言葉通り、原稿が演じられると必ず見に行く。客席の反応を見る。演じ方、しゃべり方をチェックする。
CDプロデュースの話も舞い込んだ。
静岡安部川に伝わる民話を講談に脚色し、女流講釈師、神田蘭が読む

志村さんはモニターから流れる噺を、今日も聞いている。
「売れるように描くのが物書きの仕事ですから」台本作家として、そして落語会のプロデューサーとして、木戸番の挑戦は60にして緒についた。

(取材・文/阿部 克巳)
このページの上に戻る
ぱそらいふトップへ戻る

NEC Copyright(C) NEC Corporation, NEC Personal Products,Ltd.