戦中の1944年、東北金属工業(トーキン)の疎開工場として生まれた米沢製作所。1982年にNECの傘下となり、米沢日本電気(NEC米沢)に社名を変更しました。本工場は1984年から一貫してパソコンを作り続けており、ノートパソコンの世界三大開発拠点の一つともいわれていました。今では、NECパーソナルコンピュータの国内唯一の生産拠点として、主に企業や個人に向けたカスタム製品を生産しています。
山形県米沢市は、夏は暑く冬は雪深い地域で、りんごや和牛(米沢牛)の産地として知られています。街の中心には伊達政宗が生まれ育った米沢城があり、江戸時代は上杉氏の城下町として栄えました。上杉氏の統治は250年以上続きましたが、中でも18世紀後半に改革を断行し、善政を敷いた名君・上杉鷹山は今なお市民の尊敬を集めています。鷹山の治世のころに培われた「皆で知恵を出し合い工夫する」という気風は現在でも受け継がれており、米沢工場でも働くスタッフ全員が協力して生産性の向上に努めています。