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忠七(ちゅうしち)めし(埼玉)、さよりめし(岐阜)、かやくめし(大阪)、うずめめし(島根)とともに「日本五大銘飯」のひとつに数えられている東京の深川めし。江戸前の魚貝をとっていた漁師たちが生み出した、アサリめしがルーツだ。 |
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「ぶっかけの深川めしを作るのには、アサリとネギを煮すぎないことがコツだよ」と、深川宿主人の日東寺隆美さん。ご飯をよそった丼にアサリ汁を“ぶっかけ”て、刻みノリをのせてでき上がり |
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海を埋め立て、その面積を拡大させてきた首都、東京。しかし、江戸時代末期の江戸市中の名所の様子を描いた「江戸名所図會(ずえ)」を見ると、現在の江東区深川界隈は海に面していたことがわかる。寛永6年(1629)に深川の隅田川沿岸に猟師(漁師)町ができ、明暦の大火(1657年)以降、一層開発が進み、栄えた。その漁師たちの家々や屋台で食べられていたのが、深川めしだ。アサリの入った炊き込みご飯を思い浮かべる人もいると思うが、それは明治時代になってからと語るのは、深川めしの「深川宿」の主人、日東寺(にっとうじ)隆美さん。
それ以前の深川めしは、アサリ汁をご飯にかけて食べるもので、「ぶっかけめし」ともいう。昔、漁師が舟の上でとれたアサリを鍋に入れて煮て、醤油(しょうゆ)で味つけした「ほうかし」が深川めしの起源という話もある。20年くらい前、実際に日東寺さんが食べた漁師の作った深川めしは、アサリとネギが入っただけの味噌仕立ての汁をご飯にかけた簡易なものだったそうだ。
「その味つけが、とてもしょっぱくてね。店で出すにはちょっと……」。以降、日東寺さんは研究を重ね、赤みそと白みそをブレンドした独自のみそを生み出し、昭和62年に「深川宿」を開店した。
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埋め立てが進み、アサリはごく近場の江戸前とはいかないが、同じ東京湾の木更津周辺のアサリのほか、愛知の三河湾でとれた良質のアサリを築地市場から仕入れている。
作り方はいたってシンプルだ。沸騰した鍋の湯に味噌をとき、むき身のアサリと長ネギを入れる。再度沸騰させ、ネギの白い部分が透きとおってきたら火を止め、丼に盛ったご飯にかけ、最後に刻みノリをのせる。食べると味噌のコクにアサリの風味が見事に合う。そして、かむほどにアサリの豊かな滋味が口の中に広がり、さらにネギの香りが一層食欲をかきたてる。
一方、炊き込みの深川めしはアサリ、長ネギ、油揚げを醤油や塩で味を調えて煮る。具を取り除いたその煮汁に水を加えて炊いたご飯の上に、先ほど煮たアサリなどをのせてかき混ぜる。最後に三つ葉、マツの実、白ゴマ、刻みノリをまぶしてでき上がり。
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(左上)完成させるのに1年以上かかったという、深川宿の“オリジナル”合わせみそ
(左下)煮たった湯にみそをとき、アサリのむき身と切った長ネギを入れる
(右上)むき包丁で手早くアサリの身をむき取る
(右下)中火で煮て、ネギの白い部分が透きとおってきたら火を止め、ご飯にかける |
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「深川には木場があって材木を扱う人たちが多くいてね。大工などの職人が弁当や握り飯にしてもっていくようにしたのが、炊き込みの深川めしのルーツだと思うよ」と日東寺さん。漁師と職人とが同居した深川。ぶっかけの深川めしも炊き込みの深川めしも、ど ちらも「地の素材を使って手軽に食べられ、かつ栄養価の高い食事」を作り出した庶民の知恵がうかがえる。その食文化は海が遠のいても大切に守られていた。
(文/荒井浩幸、写真/藤井勝彦)
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