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旅行読売おすすめ「歩く旅」
 
第1回 桐生 群馬県桐生市   織物の町として知られる桐生には、幕末から昭和初期にかけての建物が今も多く残る。路地を歩けば、蔵や織物工場、洋風建築などが随所に見られ、かつての繁栄の面影をしのばせる。
 
「西の西陣、東の桐生」
 「この路地は昔からなんも変わんねな」。群馬県桐生市本町(ほんちょう)、蔵造りの家や古い町並みが残る路地裏で、日向ぼっこをしていたおばあさんにうかがうとそんな答えが返ってきた。生まれてからずっとここで暮らし、歳(とし)は80を過ぎてから数えるのをやめたと笑う。
  桐生市は群馬県の東端、栃木県と県境を接し、渡良瀬川と桐生川にはさまれた扇状地に市街が広がる。周辺に養蚕の地が多かったこと、桐生川が染色、洗浄に適していたことなどを理由に、古くから織物の町として栄えた。関ヶ原の戦いの際、徳川軍の旗絹はここで織られ献上されたものだ。明治以降もその織物産業で日本の近代化を支え、戦災に遭わなかったために幕末から昭和初期にかけての建物が今も多く残っている。「西の西陣、東の桐生」といわれた繁栄の面影を探しに、路地をのんびりと歩いてみた。
「出発」
 今回の出発点、両毛線桐生駅で降り、商店街を右に歩くこと15分。大正8年(1919)に建てられ、桐生の有力者たちの交流の場として文化活動の拠点となっていた桐生倶楽部のモダンな建物が見えてくる。当時の家具などがそのまま残されており、無料で見学できる。
  来た道を戻り、本町5丁目の交差点を右に折れると、桐生のメーンストリート本町通りに入る。しばらくは商店街が続くが、本町3丁目の交差点を過ぎると古い建物がぽつぽつと見え始める。そのひとつが天保元年創業で現在6代目のうなぎ屋「泉新」(いづしん)。坂口安吾も愛した名店だ。安吾は晩年、友人で作家の南川潤を頼って桐生に移り住み、本町2丁目の織物商、書上(かきあげ)氏の邸宅に寄寓していた。ここで没するまでの3年間には長男も生まれ、平穏な日々だったようだ。桐生川の河原をよく散歩していたという。
 
「織物工場ののこぎり屋根と昔の地割りが残る町を歩く」
 泉新から歩くとすぐ本町2丁目に入る。本町1、2丁目は天正19年(1591)に町が計画的に造られた際の間口6間(約10.8m)、奥行き40間(約72m)の地割りが残り、その奥行きの長さに沿ってたくさんの路地が生まれた。桐生で最も古い町並みが残る地域だ。最近では、その町並み保存や織物、アート作品などを商店街の各店で展示、販売する「一店一作家運動」を行い、市も町の活生化に力を入れている。 2丁目に入ってすぐ右に建つのが、有鄰(ゆうりん)館。旧矢野蔵群とも呼ばれ、明治、大正期の酒蔵や味噌蔵などを開放し、展示会やイベントも行われている。無料で見学でき、トイレもあるので立ち寄ってみよう。蔵をバックに記念撮影をしていた40代後半の女性3人組に桐生の魅力を聞くと「歩いて全部回れること」と即答。さいたま市から来ていて、今度はボランティアガイドさんと一緒に歩きたいと早くも次回の予定を立てていた。
織物工場ののこぎり屋根
  有鄰館を後にして、本町通りを北へ向かう。郵便局を過ぎて、左に曲がると織物工場ののこぎり屋根が見えてくる。桐生の象徴ともいえる光景だ。この屋根は、北側にのこぎりの「歯」の部分を向け、その部分に造られた窓から柔らかい光を取り入れるためのもの。強い光を当てると染料が傷んでしまうからだ。織機の騒音を拡散する役目もあり、非常に効果的な造りになっている。 そのまま路地を10分ほど歩いて買場通りを右に折れれば、本町通りに戻る。左に進み、毎月第一土曜日に骨董市が開かれる桐生天満宮を抜け、少し北へ歩くと群馬大学工学部のキャンパスに着く。
 
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