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第5回 由比(ゆい) 静岡県   静岡市の東に隣接する由比町は東 海道の宿場町だった。「歴史上の人物 も皆ここを通った」と地元の人が言 う旧街道を歩き、名物の桜えび料理 や雄大な富士の眺めを楽しんだ。
 
「最も小さな宿場のひとつ」
 この小さな町には、今も日本の大動脈が走っている。
 海岸から1キロほどの幅の中に、東海道新幹線、東海道線、国道1号線、東名高速が通る。この地が列島の東西を結ぶ交通の要所であることを示している。
 交通手段の乏しい江戸時代、ここを通る東海道がどれほどの要路だったかは想像に難くない。江戸の日本橋と京の三条大橋をつなぐ東海道五十三次の、品川宿から数え16番目の宿場町が置かれていた。
  東海道線の由比駅で降り、目の前の旧東海道を東へ30分ほど歩くと当時の宿場町に入る。江戸幕府が天保14年(1843)に編集した『東海道宿村大概帳』によると、由比宿の家並みは5町半(約600メートル)、戸数は160軒で、うち旅籠 ( はたご ) 屋は32軒。東海道五十三次では最も小さな宿場のひとつだった。
「出桁(でげた)造りの木造家屋」
 ぶらりと歩くと確かに端から端まであっという間だ。本陣跡が公園になっており、このあたりが宿場町の中心だった。この本陣跡は、東海道でも唯一、敷地が当時のまま残っているという。物見櫓や木塀、馬の水飲み場などが復元され、周辺には由比独特の出桁(でげた)造りの木造家屋が並ぶ。住時の宿場の雰囲気をまさに残している。道幅も当時と変わらず、車2台が余裕をもってすれ違うことができる広さだ。
 古い木造家屋のなかでもひときわ目を引くのが、本陣跡の正面に立つ正雪紺屋(しょうせつこうや)。「由比」「正雪」と聞けば、ピンと来るだろう。ここは家光の死後、浪人たちとともに幕府転覆を企てた由井正雪の生家といわれている。建物は築180年ほどの木造平屋で、現在も染物を続けている。ギヤマンのガラス戸を開けると、土間には藍を貯めておく瓶がいくつも埋め込まれ、黒い梁や柱に歴史を感じる。18代目の吉岡統一郎さんは「正雪はもちろん、歴史の教科書に載っているような人物はみんなこの前の道を通りました。そう思うと、ただの道に見えなくなるでしょう」と話す。
 
「名物の桜えび料理を堪能して 街道の面影残す倉沢を歩く」
 すぐ先に、桜えび専門のレストラン「海の庭」があった。体長4、5センチほどの桜えびは駿河湾でしか取れず、由比は水揚げ量日本一を誇る。通り過ぎるわけにはいかない。ガラス張りの店内で駿河湾を望みながら、生桜えびやかき揚げなどが入った桜えび御膳(1575円)を堪能した。その土地で食べる地物の味はやはり格別だ。
  その後、再び由比駅へ戻り、そのまま旧東海道を歩き西へ向かう。徒歩5分ほどの歩道橋を渡ると寺尾地区に入る。ここから倉沢地区まで歩いて40分ほどの間は右手に山が迫り、道幅も狭くなる。旧名主の家など木造家屋が多く、ゆるやかなカーブを繰り返す細い街道沿いに格子が連なる様子は旧街道の面影を色濃く残す。特に倉沢は、今もこんな場所が残っているのかと、はっとするほどの雰囲気だ。
  名物の桜えび料理を堪能して 街道の面影残す倉沢を歩く
 その倉沢の端には、かつて脇本陣だった休憩処、望嶽亭(ぼうがくてい)藤屋がある。ここで幕末史の一頁が刻まれた。現在家を守る23代目の松永さだよさんによると、慶応4年(1868)3月7日、江戸無血開城の談判に向かった山岡鉄舟が官軍に追われ、ここに逃げ込んだ。4代前の主人は、鉄舟を漁師に変装させ、隠し階段から知り合いの清水の次郎長のもとへ逃がしたと伝えられているそうだ。
 常時公開はしていないが、事前に連絡(TEL:0543-75-3486)すれば鉄舟を匿(かくま)った蔵造りの座敷や隠し階段、鉄舟が残していったフランス製十連発ピストルを見せてもらえる。当時のままのほの暗い蔵座敷で、昨日のことのように語られる歴史に深い感慨を覚える。「先祖が残したものを受け継いで、それを皆さんに見てもらうことが私の仕事です」。松永さんの言葉が胸に残った。
 
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