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この小さな町には、今も日本の大動脈が走っている。
海岸から1キロほどの幅の中に、東海道新幹線、東海道線、国道1号線、東名高速が通る。この地が列島の東西を結ぶ交通の要所であることを示している。
交通手段の乏しい江戸時代、ここを通る東海道がどれほどの要路だったかは想像に難くない。江戸の日本橋と京の三条大橋をつなぐ東海道五十三次の、品川宿から数え16番目の宿場町が置かれていた。
東海道線の由比駅で降り、目の前の旧東海道を東へ30分ほど歩くと当時の宿場町に入る。江戸幕府が天保14年(1843)に編集した『東海道宿村大概帳』によると、由比宿の家並みは5町半(約600メートル)、戸数は160軒で、うち旅籠 ( はたご ) 屋は32軒。東海道五十三次では最も小さな宿場のひとつだった。 |
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ぶらりと歩くと確かに端から端まであっという間だ。本陣跡が公園になっており、このあたりが宿場町の中心だった。この本陣跡は、東海道でも唯一、敷地が当時のまま残っているという。物見櫓や木塀、馬の水飲み場などが復元され、周辺には由比独特の出桁(でげた)造りの木造家屋が並ぶ。住時の宿場の雰囲気をまさに残している。道幅も当時と変わらず、車2台が余裕をもってすれ違うことができる広さだ。
古い木造家屋のなかでもひときわ目を引くのが、本陣跡の正面に立つ正雪紺屋(しょうせつこうや)。「由比」「正雪」と聞けば、ピンと来るだろう。ここは家光の死後、浪人たちとともに幕府転覆を企てた由井正雪の生家といわれている。建物は築180年ほどの木造平屋で、現在も染物を続けている。ギヤマンのガラス戸を開けると、土間には藍を貯めておく瓶がいくつも埋め込まれ、黒い梁や柱に歴史を感じる。18代目の吉岡統一郎さんは「正雪はもちろん、歴史の教科書に載っているような人物はみんなこの前の道を通りました。そう思うと、ただの道に見えなくなるでしょう」と話す。
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