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第6回 馬籠(まごめ) 岐阜県 中津川市   木曽路の宿場町、馬籠が合併騒動 を経て、2月に長野県山口村から岐 阜県中津川市に移った。島崎藤村の 故郷であることも越県合併論議を過 熱させた。話題の町を歩いてみた。
 
「木曽路はすべて山の中である」
 「信濃が溶け出すのを見過ごすわけにはいかない」。長野県山口村と隣接する岐阜県中津川市の越県合併に際し、田中康夫県知事はそう反対したという。その理由のひとつが馬籠にある。
  旧山口村に属した馬籠は中山道木曽路の有名な宿場町であり、信州の風土を描いた文豪、島崎藤村(とうそん)(1872〜1943年)の故郷でもある。端から端まで歩いて15分もかからないが、信州信濃が凝縮された場所ともいえるからだ。
 名古屋駅から急行で約50分、中央線中津川駅で降り、バスで30分の馬籠バス停が散策の起点になる。バスを降りると、周囲は恵那(えな)山などに囲まれ木々の匂いが濃い。<木曽路はすべて山の中である>。藤村がここ馬籠を舞台に書いた名作『夜明け前』の冒頭の気分を肌で感じる瞬間だ。
「夜明け前」
 バス停からすぐ左に折れると、馬籠宿の町並みが始まる。この宿場には、海抜600メートルの尾根伝いに延びる中山道の両側に古い木造の家々が立ち並ぶ。家々の裏側は共に下り勾配になっており、下方へ向かって林や田畑が広がる。この独特の景観を、『夜明け前』ではこう記述している。

<美濃方面から十曲峠に添うて、曲りくねった山坂を攀じ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿(しゅく)を見つける、街道の両側には一段ずつ石垣を築いてその上に民家を建てたようなところで…>。
 
「合併で話題の名作の舞台を歩き 坂のある宿場町の風情を楽しむ」
 江戸から80里半、京へ52里半の位置にあり、江戸の板橋から数えると中山道六十九宿の43番目の宿場になる。町の延長は約600メートルで、中津川市と長野県の新しい県境、馬籠峠に向かい石畳の上り坂が続く。多少カーブはあるがほぼ一直線だ。沿道には、藤村の生家跡に立つ藤村記念館や脇本陣資料館、土産物屋、名物の五平餅を売る店などが立ち並ぶ。加えて、藤村記念館の横には、藤村の詩集『若菜集』登載の「初恋」のモデルおゆふの生家、大黒屋がある。<まだあげ初めし前髪の……>。あの詩のモデルである。その親族が食事処を営んでおり、栗こわめし(1500円〜)が名物になっている。
  あちこちのぞきながら、ゆっくり歩こう。素通りするのはもったいない。上りは家々の軒下を見上げ、下りは屋根を見下ろす。上りと下りで違った表情を見せるのは、山坂沿いの町並みならではの魅力だ。明治28年と大正4年の大火で江戸時代の建物はほとんど焼失し、現在の建物はそれ以降のものだが、地形上、元通りに家を建てるしかなく、道幅や家並みのたたずまいは江戸時代と変わらない。街道の両脇を勢いよく流れる山からの水の音に、木曽路の春の訪れを感じる。
  「合併で話題の名作の舞台を歩き 坂のある宿場町の風情を楽しむ」
 道すがら、越県合併について町の人に話を聞いてみた。「長野の放送は電波が入らないから、岐阜のテレビ欄が載っている岐阜県版の新聞をとっています。天気予報も岐阜県のほうが当てはまりますからね」「一番身近な問題は、救急車。岐阜県側から来るほうが、20分も早いんです」。
  実は昭和30年代の初めにも越県合併を目指したことがあった。当時、馬籠の属していた長野県神坂(みさか)村が中津川市との合併を決めた。しかし、賛成派と反対派に割れ、村内は険悪になってしまう。両派の間ではあいさつはおろか、結婚式にも招待しないなど溝が生まれた。結局、馬籠など3地区は長野県山口村と、残りは中津川市と合併し、神坂村は2つに分かれたが、しこりが後々まで残った。町の人と話をすると、越県合併に話題が及ぶのをなんとなく避ける人が多かった理由が分かる気がした。「まだしこりが残っているので話したくない」と明言する人も実際いた。生活の利便性に重きを置く物言いには、いろいろな思いや心配りが込められているのだろう。
 
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