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そんな気持ちを思いやっているうちに、素朴な疑問が生まれた。藤村の出身地の表記はどうなるのだろう?藤村記念館の副館長、牧野式子さんに尋ねてみた。「信州人は藤村は自分たちのものだと思っている。岐阜県の人は自分たちのものだと思っていない。作品を考えても信州の文字は取れないと思う」。「岐阜県中津川市馬籠」に住所が変わっても、この藤村記念館の施設の一部が、長野県の学校の先生や子供たちの寄付で建てられた事実は消えない。
ちなみに後日、藤村や信州に関する書籍を数多く扱う長野県松本市の「郷土出版社」にも同じ質問をしてみた。「戸惑いもあるが、藤村はやはり信州人であり、信州の精神や風土抜きには語れない。だが、今後、藤村の表記については越県合併には触れないわけにはいかなくなる」と話していた。
行政による境界線が変わっても、馬籠の住民はもちろん、信州人の心の中から藤村を敬愛する気持ちは消えないと感じた。表記の問題も結局、歳月と風土が解決していくのではないか、合併問題の象徴ともいえる町を歩き、そう思った。
軒先の行灯(あんどん)がオレンジ色にともり始めるころ、坂を下り再びバス停へ戻る。高台にあるとはいえ、山々に囲まれた町は日が暮れるのが早い。薄暗くなり影絵のようなシルエットの町並みに、石畳が白くぼんやりと浮かび上がっている。坂の上から家々の屋根越しに見下ろすと、すぐそこに中津川市の街明かりが輝いていた。
(文/熊崎俊介) |
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【交通】中央線中津川駅からバス30分、馬籠下車徒歩すぐ/中央道中津川ICから国道19号線経由約30分、馬籠周辺に無料駐車場あり/新宿駅、名古屋駅からの高速バスもある
【備考】ボランティアガイドなし
【宿泊】馬籠に約10軒
【問い合わせ】馬籠観光協会 TEL 0264-59-2336 |
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(2005年旅行読売5月号より) |
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