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東京駅からJR総武線、成田線を乗り継いで約2時間、佐原駅で降りた。改札を出て、足元を見るとコンクリートに足型が埋め込まれている。左足と右足の間は約70センチ、全国を歩いた伊能忠敬の歩幅だった。
茨城、千葉県の県境、霞ヶ浦の南を流れる利根川沿いに開けた佐原には、江戸時代、日本全国の海岸線を歩いて初の実測地図を作った忠敬が暮らしていた。
足型に自分の足を重ねて歩幅の感覚を刻み込み、小さい商店が並ぶ駅前を左に曲がる。加速がつくと70センチいう歩幅は少し狭い。忠敬は小柄だったのだろうか。そんなことを考えているうちに、5分ほどで利根川の支流、小野川沿いへ出た。佐原駅を中心に広がる住宅地を流れるこの川沿い約400メートルにわたり、江戸、明治期の商家の町並みが残る。平成8年に関東初の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。ぶらりと回っても15分ほどだ。
川幅3メートルほどの小野川だが、佐原はこの舟運により栄えた。江戸後期の地誌『利根川図志』にはこうある。<佐原は、下利根附(しもとねつき)第一繁昌の地なり、村の中程に川有りて、新宿本宿の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚げさげ、旅人の船、川口より此所まで、先をあらそい、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし> |
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利根川水運の集積地として、近隣で取れた農作物が集められ、小野川経由で江戸へ舟で運ばれた。その繁栄ぶりは、当時の戯れ歌に「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と唄われるほどだった。老舗の佃煮屋、正上(しょうじょう)の前には、「だし」と呼ばれる川面に下りる荷揚げ用の石段が残り、舟運で栄えた河港の町「北総の小江戸」の一端を見ることができる。
リュック姿のおばさん8人が、その「だし」に座って休憩していた。「団地のみんなで歩こう会をつくって、毎月こうして出掛けているの」。東京の多摩市から来たという。「平均年齢は65歳。80歳の人もいるのよ」と話す。「みなさんお若いですね」と言うと、ミカンを5つもくれた。
歩こう会の人たちと一緒に、ミカンを食べながら川沿いを歩いた。柳が風にそよぐ度に、新緑の柳葉の間から対岸の古い蔵や木造の商家がのぞく。さわやかな風景に足取りも軽く、おしゃべりも弾む。「新しい靴だから足が痛くなってきたわ」「ずいぶん派手な靴ね」「嫁が買ったのよ」 |
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