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第9回 近江八幡(おうみはちまん) 滋賀県 近江八幡市   琵琶湖東岸に近い近江八幡は、近江商人の町である。豊臣秀次が開いた小さな城下には古い商家が並ぶ。碁盤目状の通りを歩き、手こぎ舟で水郷めぐりを楽しんだ。
 
「天下に名を馳せた近江商人の故郷」
 <「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである>
 作家、司馬遼太郎がそう惚れ込んだ近江は、湖畔の美しい風景とともに、天下に名を馳せた近江商人の故郷としても知られる。伊藤忠商事、丸紅、高島屋、大丸、西武グループ、日本生命、ヤンマーディーゼル、武田薬品、ふとんの西川。いずれも近江商人の流れをくみ、今に続く。
  東海道線の近江八幡駅からバスで5分、小幡町資料館前で降り、近江八幡めぐりをスタートした。ここは、近江商人のなかでも最も歴史が古い八幡商人の町である。
 バス停近くの新町通りを曲がると、八幡商人の町並みが始まる。木造平屋、低い軒と格子戸が特徴の江戸末期の商家が連なり、敷地からは樹齢数百年の松が伸びる。道端でスケッチをしていた初老の男性に声を掛けた。「大阪から電車で1時間やし、よう来るで。町に余裕があるというか、ごみごみしてへんから絵にしやすいわ」。
「三方よし」
 近江商人は行商が基本だった。江戸期に天秤(てんびん)棒を担いで全国を回り、産地で仕入れた特産品を各地で売る「産物廻し」で利益を得た。その後、江戸、大坂、京都などに出店を構えて成功する。それを支えたのが「三方(さんぽう)よし」の精神だった。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。自分の利益だけでなく、相手に喜ばれ、社会や地域に貢献してこそ商売だという意味だ。企業倫理が問われている今、その精神が注目されているというのもうなずける。
豊臣秀次が開いた小さな城下には古い商家が並ぶ。
 
「商家の並ぶ町並みを歩き、堀端の郷土料理店で近江の味に舌つづみ」
 近江八幡は豊臣秀吉の甥、秀次が信長亡き後の安土から民を移した城下町である。秀次は後、謀反の罪をきせられ高野山で自害する。主を失った城下の商人が各地へ旅立ったのが、行商の起源とされる。   
琵琶湖を背にする標高271メートルのこんもりとした八幡山に城跡があり、八幡堀がそれを囲む。堀の外には、縦12本、横4本の碁盤目状の町割りがほぼ当時の道幅のまま残されている。江戸末期の商家や町屋が残る通りや、蔵が並ぶ八幡堀をのんびり歩きたい。時間は1時間もあれば十分だろう。ちなみにここでは、年間30〜40本ほどの時代劇の撮影が行われるという。
八幡山へは、ロープウエーで4分ほどでのぼることができる。石垣が残る山頂から見下ろすと、町並みの周りを田んぼが囲み、その外れに水郷、その向こうに安土城址までが一望できる。
  新町通りには、質素だが重厚な造りの商家や土蔵が並ぶ
 八幡山へは、ロープウエーで4分ほどでのぼることができる。石垣が残る山頂から見下ろすと、町並みの周りを田んぼが囲み、その外れに水郷、その向こうに安土城址までが一望できる。
 昼時に八幡堀の前にある「喜兵衛(きへえ)」(11時〜14時30分、水曜休)の暖簾をくぐった。ここには板前がいない。黒漆喰(くろしつくい)に格子窓の築200年の商家で、地元の主婦たちが郷土料理を出している。「近江が詰まっています」と勧められ、喜兵衛膳(2625円)を食べた。湖魚の佃煮や煮物、近江牛など薄味の上品な味付けだった。
 膳の中にある赤い長方形のものが何か分からなかった。聞いてみるとこんにゃくだという。食用の紅殻(べにがら)で染めたこの赤いこんにゃくも近江八幡名物のひとつ。由来は諸説あるが、派手好きな信長が安土で広めたのが始まりだという。恐る恐る口に運ぶと、味は普通のこんにゃくと変わらない。女将の苗村香代子さんは、「高校を出るまでこんにゃくは赤いもんやと思うてました。黒いこんにゃく見たとき、何で色を抜いてんねやろと不思議でしたわ」と話してくれた。現在も市内のスーパーで売られ、学校給食にも出されているそうだ。
 
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