生産委託先が海外にある以上、かなりの回数の出張を強いられる。保谷は、8月末と、9月、11月中旬、詳細検討のために台湾に飛んでいる。さらに、年の瀬も押し迫った12月下旬にはモックアップレビューのために上海に赴いた。保谷の誕生日は8月31日。かくして、2003年は誕生日もクリスマスも、仕事一色の海外出張に塗りつぶされてしまった。
この一連の作業が一段落したところで、保谷は9日間のリフレッシュ休暇を迎えた。前半は自宅でゆっくり過ごしたが、後半には高校時代の友人を誘い、二人で韓国を訪れた。東大門市場で念願のオーダーメイドレザージャケットを作ってきたという。保谷が韓国を訪れるのは二度目だったが、その国民性の暖かさ、治安の良さ、美味な食事が気に入っている。もちろん、仕事抜きの海外旅行は久々で、本当に楽しかったともらす。
保谷がつかのまのバカンスを楽しめたのは、プロジェクトの主導権が、保谷の手から完全に米沢の拠点に移行していたからだ。だが、商品コンセプトに関わることになるような仕様の変更に対しては、逐次、保谷に問い合わせられ、保谷自身がその可否の判断をくだす。
保谷 |
「結果的には、コンセプト拡大でよりよい製品になりました。戦略面を考える人たちと意見が違うので、今さら何なんだって感じはありましたよ。あのときは、マネージャの服部さんも怒っていたくらいです。勝手にやってください、くらいのことを言っていたような記憶があります。会議なども、殺伐とした空気が流れていましたね。丸川さんは、ワーッとまくしたててしまうタイプだけど、私はドスのきいた声で、淡々と文句を言うので、不気味がられていたみたいです」 |
丸川 |
「でも、いいかげんな気持ちでやっていたら、上の圧力に負けていたでしょうね。でも、そうじゃなかったから、残したい部分はきちんと残せて、よい製品に仕上げられたんだと思います」 |
3月2日、保谷の元に、プリプロダクション(PP)と呼ばれる装置が届いた。通常は50台程度のPP機が作られ、それが各拠点に配布され、ソフト、塗装、構造などに関するチェックがいっせいに行われる。そして、見つかった不具合は、障害登録データベースに書き込まれ、徹底的につぶされていく。
保谷 |
「私の手元に届いたのは優等生のPP機でした。PP機は、本来、塗装をしないのですが、カタログ撮影などのために、塗装もされていて、とても精度が高いものだったんです。たてつけなどもしっかりしていました」 |
このPP機のために、メカ担当の佐藤、デザイン担当の勝沼が、それぞれ何度か台湾、上海に赴いている。PP機で見つかった不具合は完全にフィックスされ、4月頭にMP1と呼ばれる段階の装置ができあがる。これを元にスペシャルテストが行われ、振動や落下に関する試験を経て、品質保証部がNECの装置として世に出していいかどうかを判断し、出荷判定をくだす。現時点で、この出荷判定はゴールデンウィークが予定されている。ここで致命的なトラブルが起こっては出荷が遅れてしまう。 |