NECパソコンの歴史 番外編 〜一体型パソコンの先駆け「simplem」〜 ライター 山田 祥平

1999年9月2日。東京・表参道のファッションビル、アニヴェルセル表参道において、NECは、ちょっとお洒落な製品説明会を開催しました。
この日に発表されたのが、シンプルさを基調とした新型パソコン「simplem」だったのです。

お洒落な一体型パソコン

15型液晶ディスプレイ一体型で、ワイヤレスマウスとワイヤレスキーボードを装備したこのパソコンは、いわば現在の一体型パソコンの先駆けということができるでしょう。ノートパソコン用のパーツを応用することで、薄くてコンパクトな据え置き型パソコンが実現されていました。また、ノートパソコンではお馴染みのスリープ機能を据え置き型で実現していたのも高く評価できる点でした。でも、業界裏話的なところでは、そのお洒落感について、当時のNEC社内では、特にお偉いさんレベルでデザインがよくないとする方が少なくなかったようです。それを押し切って発売されたということなのですが、とにかく、デザインが賛否両論というのは、話題性としては悪いことではありません。

この当時、インテルは「コネクテッド・コンセプト・eホーム」なるコンセプトを提唱し、家庭におけるPCとインターネットのさらなる利用を促進しようとしていました。Microsoftとのコラボレーションによって「Easy PC」イニシアティブのコンセプトを提唱、パソコンを使うことを難しくしているレガシー要素を段階的にパソコンからなくしていこうとした時期です。

リビングに置きっ放しでも違和感のないデザイン

simplemをその発表会場で初めて見たときに驚いたのは、一体型ボディから出ているケーブルがたった一本しかないということでした。もちろんそれは電源ケーブルです。据え置き型のパソコンですから、こればかりは省略することはできません。ケーブルの先にはお約束の電源アダプタがありました。でも、想像してしまう黒い無愛想なものではなく、白いボックス状の形状で雰囲気もお洒落でした。そして、そのボックスには電話回線を接続するためのモジュラージャックが装備されていました。つまり、ボディから出ているケーブルには、通信用のケーブルが隠して束ねられていたわけです。シンプルを追求するというのは、こういうことなんだと感心したのを覚えています。今は、通信までもワイヤレスが当たり前ですが、このころの通信は、普通の電話回線でモデムを使うしかなかったのですから。

キーボードやマウス以外に、インターネットパッドと呼ばれるテレビのリモコン風デバイスも添付されていました。このパッドを使って、ブラウザなどを操作することができたので、ちょっとした用途であれば、マウスやキーボードを使う必要もありません。これらの3種類のデバイスはすべてワイヤレス、しかも、赤外線方式ではなく電波を使って通信するため、障害物などによる弊害もありません。
すごいのは、本体のどこを探しても電源スイッチがないということです。普通に考えればわかるのですが、電源はキーボードからワイヤレスでオンにするのです。

こうして、simplemは、使うときだけ取り出して、使い終わったら片付けるオールインワンノートパソコンの世界を脱皮し、リビングルームの目立つ場所でいつも出しっ放しで置いておかれるパソコンを目指したのです。リビングルームに置いても違和感のないデザインは、それを象徴していました。

しかも、本体やキーボードは透明カバーで覆われていました。そして、透明カバーの下にインナーシートを入れることができ、自分の好きなイラストや模様で着せ替えができたのです。インナーシートクリエータなるアプリも提供され、自分の好きなデザインのsimplemに仕立て上げることができました。

レガシーフリーを追求

でも、simplemは、技術的に当時最新鋭のパソコンではなかったことも事実だったようです。発表会当日に話を聞いたときのメモが出てきました。群馬日本電気のパーソナルコンピュータ技術部(元、現NECパーソナルコンピュータ 商品開発本部・ソフト開発部シニアマネージャ)、樫本欣久氏の談話です。樫本氏は、この製品のハードウェア周りのコンセプトを担当したそうなのですが、製品の根底に流れるものは「Easy PCに対するアンチテーゼ」だというコメントをもらいました。このマシンは、従来アーキテクチャを持ちながらレガシーフリーなEasy PCを実現したものだというのです。

パソコンの世界でのレガシーは、悪い意味での「遺産」を意味します。今でこそ、プラグ&プレイで、設定などを考えないで拡張できますが、昔は、小難しい設定が必要でした。また、パラレルポートやシリアルポートなど、機器ごとに接続端子が異なっていたのもパソコンをややこしくする原因になっていました。それを撤廃しようとしたのがレガシーフリーです。
言葉を換えると、その時点で完全にレガシーフリーなパソコンを世に出すには時期尚早で、そのときできることを現実的なソリューションとして提供、レガシーな部分をOSであるWindowsから隠蔽してしまうことに成功し、擬似的なレガシーフリーEasy PCを実現していたのです。

このころは、Windows Meが翌2000年にリリースされる予定で業界が動いていました。さらに、Windows NT系列のOSをクライアントパソコンでも使えるようにするWindows 2000のベータテストも始まっていました。ぼくは、樫本さんにお願いし、すぐに、simplemの試作機を借りだして、Windows 2000のRC版のインストールも試みています。この段階のRCではインストーラがうまく動いてくれず稼働させることは断念しましたが、その後、発売された製品版では何の問題もなく稼働したことを確認しています。
プレミアム・コンフォート「VALUESTAR W」

simplemが先陣を切った一体型パソコンの潮流は、現在のVALUESTAR NやVALUESTAR Wなどに引き継がれています。2005年に登場した初代のVALUESTAR Wは20型ワイド、26型ワイドという大画面を持つ製品でしたが、simplemの商品企画に関わった方の手になるものだそうです。そこでは、一体型でありながら、本体と液晶ディスプレイが分離しているという、ある意味で矛盾したデザインが模索されています。

この製品のキーワードは「プレミアム・コンフォート」でした。そして、パソコンのようには見せたくないという方向性がありました。まさに、simplemが登場したときのコンセプトに通じるものがありますね。

ライター プロフィール

山田 祥平
1957年福井県生まれ。フリーランスライター、元成城大学講師。
インプレスPC Watch連載等幅広くパソコン関連記事を寄稿。単行本も多数。
NEC製品とは、初代PC-9800シリーズからの長いつきあい。
前のページへ